「手」
ある日、6歳の息子が「ほらっ!見て!ボクがんばってる?」と手のひらを差し出してきた。
私の幼い頃とよく似たのか、どんくさくて、人よりは遅いのかもしれないが、ついこないだ、ようやくうんていができるようになったという。小さいながらいっちょまえにマメがつぶれ少し固くなっていた。
「ようがんばったなあ!すごいなあ」なんてほめていると、「父ちゃんの手も見せて!」と頼んできたので、手のひらを見せながら「どうだえ?父ちゃんの手もがんばっとるかえ?」と聞いてみると、そうでもないような顔をしていた。
その時、ふと思い出した。
以前、お誕生日のお祝いとして、相撲の力士が色紙に手形を押すのを真似て、ご利用者の方の手形を写真と合わせてプレゼントした事があった。
誕生日をお祝いする企画の担当であった為、ご利用者の方に一人ずつ説明し了解を得て、手のひらに朱墨を塗り、紙に押す。む出来上がり。この一連の流れを何十人とさせて頂き、それぞれ色んな形、感触であったのを今でも覚えている。
優しい手、か細い手、しわしわの手、曲がった手、ごつごつした手、柔らかい手、色々あったが、もちろん一つとして同じ手はなく、どの手どの手形を、見ても、触っても、なんとも言いようのない「深さ」を感じた。
なんとも言えないが、ほんまに「ええ手」なのである。
何がいいかもわからないが、触っても見ても、ほっとするような、力強いような、いつまでも手を握っていたいような・・。
「目は口ほどにものを言う」なんてことわざがあるが、「手は口ほどにものをいう」ような気がする。
「ワシは仕事一筋!わき目もふらず、ずっときばってきたんだ」
「女手一つで子供を何人も育ててきたわ」・・・・見ていると、あの方、この方、一人ひとりの手から物語が聞こえてきそうな気がしていたのを思い出した。
自分の手を改めて、見る。
「かなわんなあ・・・」毎日関わっているご利用者の手からにじみ出る、何年も何十年も重ねてきた目にみえない苦労に比べれば。
でもいつか言われたいものである。
「ほんまにええ手ですねえ!」