「死」について考えてみました
少し、重たいテーマですが・・・
先日、自治医大の学生さんとターミナルケアについて話をする機会がありました。そこであらためて「死」ということについて考えてみました。
死は怖いでしょうか。楽しいでしょうか。つらいでしょうか。
死というものは、将来誰もが体験することではありますが、誰も体験談を話していただくことはありません。色々な話を聞きますが、体験なしでの話は信じ難しといったところです。また、未知の世界について自分が体験するとは、不安があって当然であると思います。誰でもそうだと思います。
今まで色々考えてみましたが、この大きな問題の「死」ということについて、ひとくくりにして考えることは無理があるのではと考えました。
「死」を迎えることで、状況としては別れということが発生します。家族・親族・友人・知人(仕事関係・家族関係)数えればきりが無いほど私たちは多くの人たちとかかわりを持って生活をしています。その人たちとの別れを考えると、悲しみが発生してきます。
一方、自分の同級生や友人が「死」を迎える度に、「私も早くそちらに行きたい」という人がいます。もしかしたら、そのような気持ちを私も持つかもわかりません。ある意味、楽しみに感じてしまうかもわかりません。これは出会い・再会と言う発想です。
霊の存在を話される事があります。もしも霊が本当の話であれば、これほど私達の死に対する恐怖を取り除いてくれることは無いでしょう。死のあとの存在が確証されるのですから。だから皆は興味があるのです。信じたくないと言っても、気になるのです。
また、物質的な面から考えると、私達の身体の細胞は、入れ替わっています。と言うことは、数年前の身体とは全く違った細胞で身体が構成されています。また、私達が死を迎えると、火葬されて形はなくなりますが、原子レベルで考えると、私の身体を構成していた細胞の原子は、100年後に木や草になっているかもわかりません。魚になっているかも、海水になっているかもわかりません。「死」は、区切って考えるものでなく、流れの通過点として考えられることもあります。そういう視点から考えると、悲しいという気持ちとは少し違います。
更に、病気等により身体的・精神的に苦痛がある場合、「死」ということを機会に楽に変化するかもわかりません。誰にもわからないことです。
これらのことを総合的に考えると、複雑な気持ちでどちらともいえない状況で、白黒つけにくい問題であると思います。
揺れる心といった感じでしょう。それで当り前だと思います。
「死」とは、誰もが経験するがどうしようもないことであります。冷静に死を迎えること、冷静さを欠いて死を迎えること、どちらも正しいのではないでしょうか。
一度限りの人生だと思えば、死は不安をもたらします。しかし、何度も生まれ変わるということが100%確認できたとしたら、人は人生を粗末に扱うかもわかりません。都合が悪くなったら、真剣に取り組まず何度もリセットをかけるようになってしまうかもわかりません。
あまりわからない状態が、一番良い状態かもわかりません。
皆様も一度「死」について考えてみられたらどうでしょうか。